【この差】「あぐら」と「正座」の差

 
専門家:斗鬼正一(江戸川大学 社会学部 教授)

 

【この差】は…
 すぐに立ち上がれない座り方か どうか

【この差】のポイント!

徳川家光が、家臣の足をしびれさせて自分を襲えないようにするため、「正座」を正しい座り方にした。


 

戦国時代の武士は、なぜ目上の人の前で「あぐら」をかいていたのか?

昔は「正座」の習慣はなく、「あぐら」が一般的だったから。

 

いつから目上の人の前で「正座」で座るようになった?

目上の人の前では「あぐら」でなく「正座」で座るように決めたのは、江戸幕府第三代将軍・徳川家光

家光は、「あぐら」より「正座」の方が、背筋が伸びて美しく見える姿勢だという理由から「正座」で座るように決めたが、これは表向きの理由。実はもう一つの理由があった。

 

徳川家光が「正座」を正しい座り方に決めたもう一つの理由とは?

江戸時代初期、徳川家光は諸大名を1年おきに江戸に出向かせる「参勤交代」や、江戸城の増築をさせる「天下普請」を行い、諸大名に謀反を起こす財力を蓄えさせないための政策をとっていた。家光は非常に厳しい人物と思われていたが、実際は常に謀反を心配する小心者だった。


ある時家光は、今後自分の前に座る時には「あぐら」ではなく「危座」をするように定めた。この「危座」とは当時の罪人の座り方なのだが、実は現在の「正座」と同じ

長時間座らせて苦痛を与え、罪を白状させるための座り方だった。

家光は幼い頃、教育係の春日局に怒られた際に「危座」をさせられた。しばらく「危座」をした後に足がしびれてすぐに立ち上がれなかった経験を覚えていた家光は、家臣に「危座」をさせれば仮に自分を襲おうとしてもなかなか立てないため、急に襲われる心配がないと考えた。そして、家臣の足をしびれさせて自分を襲えないようにするため「危座」を正しい座り方にした

 

「正座」と呼ぶようになったのはいつ?

「危座」が「正座」と呼ばれるようになったのは、明治時代になってから。明治になり、「危座」という呼び名は印象が悪いことから、「正しい座り方」と書いて「正座」と呼ぶようになった。その後、「正座」は学校教育でも取り入れられ、目上の人の前では「正座」で座ることが一般的になった。

 

【minnano編集部】
「正座」がもともとは罪人の座り方だったとは驚きです!平和な世の中になった今でも「自分を襲わせないための苦痛な座り方」が「正しい座り方」として残っているとは?!徳川家光もびっくりではないでしょうか?
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※「この差って何ですか?(2018年7月17日放送)」をチェック!!
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